『十三人の刺客』2回目観た感想〜「わらい顔」について

今日は昼の回だったからか、おじいさん率高かった〜〜おじいさんに両脇はさまれて観ましたw
だからか、伊勢谷と岸部一徳のシーンは「シーン」としていましたな・・・w(前回は夜で若い人多かったからか、爆笑シーンだったのにw)
てか、またパンフ買うの忘れた・・・ギリギリに入るもんで、あとで買おうと思ってるのに、映画を観終わったあとは呆然と出て来ちゃうんですよね・・・


ほんでツイッターにも書いたけど、尾張のお殿様の切腹のシーンで、客席から若い女性の声で「またこんなん〜(泣)」と聞こえてきた(笑)
ほんまこんな映画でごめんなさい!?wだけど、めっちゃ良いシーンで、皆が固唾をのんでるとこなのに・・・残念だったなあ。


でも2回目観て良かった!
まだまだ発見がありそうな映画です。
最初に、間宮図書(内野)が切腹するとき、お腹をさする音が聞こえてくるのは、初回は聞き逃してたりしたし・・・


そしてこの映画の演出テーマは・・・「わらい」なのかな?と思った今日。
もちろん笑いを誘うとかでなく。
岸部一徳さんのシーンは全て面白すぎたけど。いるだけで面白いんだもん。「しもざしもざ」w)
わらう、という漢字がどれもぴたっとこないので、ひらがなにしますが。
尾張藩のお嫁さんが、旦那さんが目の前で殺された時、ちょっと「あはは・・・」ってなった気がしたんで、今日は注目してたんですけど
確かに気が触れたように「つい」笑ってますね。
そして、百姓一揆の娘の惨状を見て、新左衛門(役所)の中から湧き上がったときの「わらい」。高揚した感情が、彼をわらい顔にさせている。
いずれも脳が衝撃をうけすぎて、感情を処理できずにそうなってるんですよね・・・
殿(吾郎)も、刺されて泥の中を這いずり回りながら、死ぬのがこわいと言いながら、「つい」わらってる。まあこれは、ほんとに楽しかったのもあるかもしれないけど・・・(哀)
新六郎(山田)の最後の最後の半笑いにいたっては、さまざまな感情がどっとやってきて・・・「わらい」になってるように思った。達成感もあるけど、なんじゃこれ、というのもあるだろうし・・・生き残った自嘲と安堵感と・・・
戦場の中でおかしくなって笑ってる人も何人もいましたが、六角さんの最期のわらいは、「鬼頭まで来れた!(迫れた!)」という喜びが、もうボーっとしてるであろう頭の中でもいっぱいになったんだろうな、と・・・こういうのはわかりやすいですね。殿の「ニヤリ」とか。ニヤリしすぎ。そんな楽しいか落合宿が・・・入る前から、何かあるとわかってるような顔してたな、殿。