サイトの経緯
ヲバなため、数年前の出来事を昨日のように語ってしまうわけですが
いつまでもbase時代のフットとチュー(とブラマヨと〜etc.)が団子になってわーわーやっていた時の、わーわー楽しい気持ちのままでニッキ書いてても、読んでらっしゃる方々とのギャップが生じるだけかもー
と、気付いたです。
ファンの「世代交代」みたいなのは、どんどんあるわけですからなー。
私なんぞは、バッファ木村サンがなだぎさんに
「急成長株な徳井を(お前の世界に)引き込むなー!」とか叱っていた(笑)baseライブが、
昨日のことのよーですが爆
その頃(?)「ルックスでチューが好きなんだろー」といぢめられたときに
「違うもん!才能も誰よりも上だもん!!」と返したかったチューファンが、今やっと言える(笑)有頂天なコトバが
今となっては、いろーんな別の意味?にとられることがあるかも・・・ですものね。。。
フットだけでなく、次課長とチュートの関係性とかもピンとこない新しい人もいっぱいいるだろうし・・・
どんどん増えてくだろうし☆(喜)
ファンニッキ(か?)を書いてくつもりなら、自分自身もちょい切り替えがいるのも、と思ったり、
でも自分だったら、好きになったばっかりの芸人さんの昔の雰囲気を知りたくなるやろなーと思ったり、、、
うーむ。
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
ところで、何でわしが違うHNでファンサイトやってるんだろう?と疑問に思う方もおられると思いますので
サイト発生やらの経緯を書いておきますね☆
●2002年1月「せやねん」に、M-1で優勝して仕事が増えた中川家に代わり、「嗚呼ニッポンの兄弟コーナー」担当として登場したチュートリアルに、一瞬でハマった管理人。
(それまでネタや「マジっすか!」等は見てたけど、2人だけでフリーに喋るのを初めて見た)
●当時のbase人気もあり、行こうとしたチュー単独ライヴは立ち見でもオクで1万円越えで無理〜この辺りを、『チュートリアル第一次ブーム』と勝手に名付けています(笑)
●NETでもbaseやチューのファンサイトが、かわゆ〜いのから裏っぽいのまでいっぱーい!!ありました。この時期自分もWEBのすみっこに、地味に想いを書くスペースを作る。
●2002年4月、念願のbaseライヴに初めて行き、生の徳井君にもう一度惚れる(笑)。以後、よけいにエライことになる。
●なかなかチケットが手に入らないけれど、可能な限りbase等にお出掛けし、勝手に愛をはぐくむ。
●2003年夏、うめだ花月に移動。baseとのライヴ内容の落差についていけず、チューは見たいけどうめ花はウニャウニャ・・・という気持ちになるが、チケットは欲しい分だけ手に入るようになり、それなりに通う。
●その年(2003年)のM-1はフットが優勝、このあたりから自分的についていけない番組にチューが出たりして、「関西ローカルだけで終わって欲しくないのに!」という気持ちが強くなる。
●baseブームが沈静し、いろんなファンサイトがなくなるのと比例して、自分の地味に始めたはずのWEBスペースが目立ち始め、必要にかられるようにして、チューの情報提供・ファンサイトのようなものになる。
●しかし、お友達もたくさん出来たけど、怒られることも多くなり(苦笑)、2004年春頃、ある事件が悲しすぎて、力尽きて閉鎖。
●そのあたりで「俺らはこのままでええやん」的雰囲気をチュートリアルから勝手に感じ、ヤキモキしはじめる。確かに関西若手ではトップクラスで売れてるんだけども><!
●ああー何とか活路はー!と思ってたら、2004年10月、CSファンダンゴの「ワイ!ワイ!ワイ!」第二期のMCに選ばれたことを知り、狂気乱舞、ファンサイトの準備を開始。チュートのファンが集まれる場所をWeb上にも用意しておかねば!という思い。けれど問題児(笑)「自分=りヴ」は関わらないように注意し、HNを「ariru」にしてOPEN(結局数ヶ月だけのブランクでしたね笑)
●それでも怒られたりして(苦笑)今の「ひみチュー部屋」に至る。
怒られるのがM-1・2005以降、まったくなくなったのは何故だろう??
●最初は1日10〜20のカウントだったけど、だんだん成長、情報がいっぱい集まるサイトになり感謝・感動・・・
以上です〜