まだまだ「大日本人」感想3。。。つーか

私のいつもの説明不足な文章を、もうちょっとちゃんと書くと
(以下『大日本人』のネタバレ含む。)






そんなこむづかしいことじゃなくて




「映画を見て」 → 「泣いたり笑ったり」して → 「ふつうに楽しんだこと」を


同じ映画を見たはずの人たちから
否定されてしまうこと


それが、衝撃だったわけです。。。


泣いたり笑ったり感応したり励まされたりっていうのは
(この映画の場合は共感という形の励ましかな?)
映画を観たことによる、普通の作用だと思うんだけど
映画どころか、この映画が自分以外(?)の人に作用した「力」まで
認めたくない人が大量にいる映画って、どういうことなんだろう・・・と
日本だよね、ここ・・・と
宇宙を孤独に漂ってる気分にさせられたわけです


まあそれこそ、「松本人志」だから、しょうがないんだと・・・思うことにします・・・
皆、ほんとうに彼が好きなんだね・・・


たとえば映画の出だし〜
私は爆音でロック聴かされてるような高揚感と緊張をドゴーンと受けて
「何よ松っちゃん!これ何よー!!」とくらくらしていたわけだけど
それを「退屈」と言ってしまう人たちがいることは・・・わかるんです
私の好きな多くの映画が、その言葉でバッサリ切り捨てられたりするわけだし・・・


でもそういう「好み」的なものは、当たり前のように皆、バラバラなわけで・・・
受けとるものもそれぞれ違うわけだから、そんなことでは自己を喪失しかけたりはしないです・・・


だから、
原西さんの動きって、どこまでフランス人にウケたんやろね〜とか、
大佐藤が時々泊まりに来てくれるなら、名古屋でスナックやってる人生もいいよね〜むふふ〜ん、とか
「ふれあい」は松本兄の影響受けてるんちゃうん〜とか
大佐藤の娘の顔にモザイクが入ったこと、が面白いわけだけど
インタビュー相手に父親をどうでもいい風にさらっと答えながら、
モザイクがあるために表情が見えないから・・・本心は見えないわけで
ほんとうにそうなのか、母に気を遣っているのか、自分も苦労させられたから複雑に屈折しているのか、わからないわけで
(声の表情さえも消されてるわけで)
そんなこと言いつつ、あのうさちゃんの帽子(どこに売ってるんだってくらい、愛情たっぷりまぶされた)をちゃんとかぶったこと、
幼児からラブandベリーなんかで遊んでる今時の小学生が、あれをかぶるか?ってこと、
・・・なーんていう映画チックな遊びをする余地もいっぱいあって楽しいねえ〜
などなど、そういう感想を言い合いたいわけなのに・・・


そこに行く前で、止まっちゃってるというか・・・
どうしちゃったんですか・・・ね・・・?